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屁のココロ (オヤジの生き様) [雑感]

 人前で屁をこく事は、その怪音および香りの影響により恥ずかしく、また失礼・迷惑にあたるものであるとは、罪にはならぬが通則であろう。家族の前では平気で屁をこく自分も、他人の前ともなれば、その時の風向きや音源の拡散具合を考慮したうえで、先ずは「するorしない」の判断を自身に問い、そして行為を果たす。それでも人前で「する」事に対しては、比較的平気な方だと思っている自分でもある。

 
むかし話になるが、私のオヤジは人前で平気で屁をこく人であった。怪音はあったものの、香りの影響は指して少ない体質であったためか、本人は気にも留めず解き放っていた。そして用を足した後に必ず決まり文句があった。「出るもの所カマワズ!」この言葉が出ると知り合い連中からは笑いが起こり、そして当然のこと苦情の発生は無く、「良くもまぁ~場が和むものだ」と子供心に感心していた記憶がある。ちなみにこの決まり文句、オヤジの勤め先や同行した電車の中などの公共の場でも発声しており、「またかよ~!」と、この人いったいどこまで平気なのか呆れ返っていたが、自分が成長すると共に、オヤジの生き様に共感できるモノを発見するようにもなっていった。

 
オヤジは長年に渡り銀行員を勤めていた。小規模な銀行であったが、いくつかの支店長を歴任した後、最後は監査室長と言う行内の不正業務を捜査するGメンの如く役職に就き、表沙汰にはならないが、結構な不正行為を見抜いていたような話をしていた。また一昔前、コンピュータなど夢のことだった時代の銀行窓口では、その日の出納が一円でも違った時など、その原因が明確になるまで帰宅できなかったそうだが、監査室長が現場に出向くと、意図も簡単にその原因を見抜いたそうだ。ナゼ見抜けるのか、ある時オヤジに問うたところ、「ニオイで解かる。」とか言っていた。人前で屁をこく人だからニオイに敏感なのかと子供心に感心していたが、その冗談は今の自分が子供に対しての言い訳作りに活用させてもらっている。

 
そんなオヤジも休日ともなれば子供の自分を米軍航空基地や鉄道公園などに連れて行ってくれ、楽しみが多かった。趣味にも徹しており、中でも相当のヘラ師でもあった。釣り大会にて入賞した際に手にした数々のトロフィーがテレビの上に所狭しと並び輝き、いったい何やってんのか、と当時の自分の目線は冷たかったような?記憶もある。

 
仕事には順風に取り組み、趣味も極め楽しむ。そんなオヤジと共に過ごす子供の頃の夢を今も時々見るが、その度にオヤジの屁を思い出す。人前で平気で屁をこく事はNGと思うが、それを犯しても人から尊敬される人生を送ったオヤジの死に顔は、もっと楽しみたかったという悔しげな表情にも見えた。なおオヤジの逸話は屁だけではない。それらの多くが自分の人生に活力を与えている現実に対し、あらためて感謝する次第である。


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